jesuisfatigue’s diary

日々闘い続けるオッサンの記録です

平成の戦士たち

30歳の頃からだろうか、社内で聞く会社の愚痴がすごく気になるようになった。「だから、この会社は・・・」で始まる類の話のことだ。入社7年が過ぎ、仕事面もほぼ一人立ち。組合幹部として会社経営について議論する機会が多かったせいもあるかもしれない。その言葉を聞くたびに「この会社って何?それはあんたのことだよ」という心の声が聞こえてきた。会社なんて単なる登記上の存在であって、それを形づくるのは経営陣だけでなく一人一人の社員という人間なのだ。

今朝、日経新聞の社説で財政制度等審議会の建議書について論じられていた。平成最後の建議ということで、総論で平成時代の財政を振り返り、その中で「健全化どころか、一段と財政を悪化させてしまった平成時代の過ちを二度と繰り返してはならない」という意見が示されたそうだ。それに対し社説では「増税などの国民負担を先送りしながら歳出抑制に消極的な与党、それを許した財務省をはじめとする官僚組織、さらにはそのような政治家を支持した有権者に猛省を促すものと評価できる。」とコメントしている。

全く同感である。不出来なのは政治家、官僚だけでなく、この社会の構成員である日本国民、とりわけ50代に入り組織内での発言権が増しているはずの我々世代、自分自身なのだ。消費増税に賛成しながら自らは軽減税率の恩恵を死守する新聞業界の姿勢はどうなのよ、と思うが、このコメントには改めてはっとさせられた。自分の世代は平成の始まりとともに成人し30年が経った。20才から50才という年代は正に社会の様々な場面で主役を張る年代であり、そう考えると平成という時代は自分たちの世代の時代なのだ。

さてその平成はどんな世の中だったのだろう。民間企業で働いてきた自分からすれば、決して誇れるような時代ではない。良かったことと言えば、日本が主体となって行われる戦争がなかったことくらいか。それに対して負の側面に目を向けると散々な成果だ。前半の失われた20年はまだ世代として若く、前の時代からの負の遺産もあり、まあ目をつぶったとしても、許せないのは2000年以降のテクノロジーの進化の取り込みに出遅れが目立つことだ。

米国GAFAや中国BAT等、新興IT企業が爆発的にその存在感を拡大していくのを横目に、ソニーパナソニック東芝といった日本を代表する企業群はグローバル市場での居場所を失い、その後に出てくるリーダー企業も不在だ。人材輩出面で見ても孫正義柳井正といった60代のカリスマの次の世代は藤田晋前澤友作に代表される40代となるのでは。自分世代はホリエモンがグローバルで伸びきれなかったのが痛い。楽天の三木谷氏くらいか。自分自身を顧みても今になって「失敗した!」と思うのは、1993年頃、伊藤穣一氏とのプロジェクトにもっと突っ込まなかったことと、2000年頃のYAHOO!とのプロジェクトに突っ込めなかったことだ。

過ぎ行く平成。「昭和の香り」なんて言葉に替わりすぐに「平成っぽい」とかいう言葉が生まれるんだろうなぁ。でも見てろよ、おっさんはこれから一旗揚げるぜよ!